こんにちは、吉田です。

超久々の投稿です。
タイトルにもあるとおり、早期帰国したのですが、そのことについて全く書かず約2ヶ月も経ってしまいました。
わずか9ヶ月の間のアメリカ留学でしたが、様々なことを経験しました!
その締めとなるかはわかりませんが、帰国したことについて書いてみたいと思います。

また、3月あたりに個人ブログを作ってそこで新たにブログを進めていくと書きました。
が、最近その設定とか色々していて、全くうまくいかず、その状態で投稿もできずストレスが溜まっていくのが嫌だったので、元のライブドアブログのほうに戻って書きたいと思います。

早期帰国の経緯

まず、なんで早期帰国をすることになったかについて説明したいと思います。
前回のブログで、新型コロナウイルスのことについて書きました。



私が通っていた南インディアナ大学では、3月の中旬にある約1週間の春休み中に新型コロナウイルスの状況を判断し、結果として5月までの春学期をオンライン授業に移行することになりました。
それと同時に、私が働いていた日本人補習校もzoomを使ったオンラインで授業を行うというかたちになり、大学のアパートでずーっと一日中過ごす感じになっていました。

もちろん外出禁止命令が出ていたので、買い物に行く時やアパート近くにあるバスケットボールコートでバスケする時ぐらいしか自分のアパートの外に出ませんでした。
その頃は、同じアパートに住む日本人の学生と多くの時間を過ごし、カードゲームや料理をして楽しめてはいましたが、自分としてはその生活が帰国する6月末までずっと続くのかと思うと、すごく時間がもったいないと感じたり、ただ単にその生活が日々変わらなすぎて辛かったり、留学の意味を考えたりと、すごい憂鬱な気分でした。

今となってみればアメリカだけでなくて世界中の人も、外出できなくて日々同じ生活をしなくてはならない状況だし、早期帰国するのは自分勝手だったのかと思いますが、その時の私は、オンライン授業なら日本に帰ってもできるし、予定の帰国日までアメリカに滞在する意味はあるのかとずっと思ってました。

更に、日本の大学から帰国要請のメールが来たこと、日本の大学の新学期の開始が4月末にずれたこと、他にも帰国する理由は自分の中ではまあまあありました。
ただ一つ、心配な点があったのは、日本人補習校との契約の上で留学をさせてもらっていたので、勝手に帰国します、というわけにはいかず、校長先生と相談をし、有難いことに早期帰国の許可をいただき、日本に4月の頭に帰国することになりました。

しかし、日本に帰っても同じように日本人補習校の勤務もオンラインで続けられると思っていましたが、アメリカの大学の税法上の問題で、「勤務することができない。」ということになり、新学期になり、せっかく新しい生徒たちと授業をすることができるところだったのに、それは不可能になってしまいました。
これに関しては、生徒たちやその親御さん、校長先生などいろんな人に大変申し訳なく思っていますし、残念です。
今でも後悔してます。

ただ、そんなこと言ったって帰国しているので、仕方ありません !
今は、自分がやらなきゃいけないこと(めっちゃあります(汗))とかしたいことをやるだけです!

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(男3人でカードゲーム。毎晩のようにやってました。)


帰国の実際
帰国をしたのは4月9日で、アメリカを飛び立ったのは8日になります。
その頃は、コロナウイルスの影響が世界中でかなりひどくなっていたので、路線の減便や休止がかなりありました。
帰国したら自分がうつしてしまう可能性もあったので、極力人と合わないように、帰国経路、方法は慎重に計画しました。

まず、朝一番にエヴァンズビル市内の空港を利用し、シカゴの空港へ経由しました。
この2つの空港では、正直なところ利用する人も少なく、感染するリスクはほとんどないと感じました。
アルコール除菌を持っていましたし、うがいのイソジンも持っていましたし、こまめに除菌をしていました。

シカゴの空港で4時間くらい眠って次の日本行きのANAの飛行機を待ち、お昼くらいに出発しました。
この飛行機内も、思ったよりは利用客はいると感じましたが、3つ連なっている席は一人が独占して使えるくらいスペースは確保されており、感染予防対策はかなりされていたと感じました。
もちろん、CAさんもマスク、ビニール手袋をしていたので安心して飛行機の中を過ごせました。

さて問題は、帰国してからの成田空港です。
飛行機が成田空港の滑走路についたあと、感染予防対策のため検疫官の指示のもと、飛行機ごとに順番に搭乗客が降りるというかたちになっていました。
私が利用した飛行機の場合、着陸後30分くらいで先頭あたりに乗っていたお客さんが飛行機を降り始め、私の座席は後ろの方だったので私はそのまた30分後ぐらいにやっと飛行機を降りることができました。

そして、そのあと更に時間を要しました。
飛行機を降りた後から検疫所まで約2メートルの間隔をあけつつ移動し、約1時間をかけて検疫所に到着。
検疫所で空港からどのような手段で自宅または待機場所に行くかのフォームやその他の情報を書き、すぐ検疫を受けました。
検疫を終えた後、自宅や待機場所に行くまで、家族が迎えに来ているとか、レンタカーを使用して帰るとか、政府が指定する待機場所に(提供される)バスで行くとか、いろんな方法で空港を出る人がいたのですが、それらを分けて荷物の受取場、そして出口まで誘導する係の方がいました。
その職員の方々も大変なのは重々承知でしたが、検疫を終えて誘導が開始されるまでの待機場所で1時間ほど待たされました。
これが私にとって非常に危ないと思った場面でした。
その待機場所はそんなに広くないスペースにも関わらず、検疫を終えた人たちがどんどん集まり、誘導の周りも遅いので、3密の条件を満たした場所になってしまったのです。
しかも、検疫を終えたわけですから、感染リスクが高いにも関わらず、その待機場所で感染しても検疫結果にはその感染した人の結果は反映されず、全く元も子もない検疫じゃないかと思いました。

確かに、未曾有の出来事ですから、職員の方々も大変でありますが、もう少し改善して最低限感染リスクの低いようにして欲しかったと思います。

私は、検疫結果が出るまでは政府が指定するホテルに宿泊する予定だったので、誘導の方についていき、空港からホテルまで行くバスを待つところに再び行きました。
これもちょっと文句を言うなら、(まあ仕方がなかったかもしれませんが)バスが来る上の階に移動する際、エレベーターに人がパンパンになる状況を作られてしまったので、これは危ないと思いました。

そして、ガスマスクみたいな顔マスクや防護服を着たバスの運転手のかたにホテルまで連れて行ってもらいました。
バスでは完全に密が避けられない状況でしたが、空港に人がたくさん待機していましたし、しょうがないと思いつつ、そのバスの移動は、危険物を運ばれているような感じになっていたので初めての体験で少し異様に感じました。

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(帰国の1日前に記念に大学正面玄関で)

帰国後
政府が指定するホテルについたのは夜7時くらいでしたでしょうか。
結局、成田空港についてホテルに着くまで5時間以上かかりました。
アメリカとの時差もあったし、移動の疲れや警戒感、ホテルに着くまでは本当に疲れました。

ただ、ホテルは自分でお金を払う必要はなく、また提供されるお弁当の食事も大変美味しかったので(日本の料理はレベル違うと認識しました)、これに関しては日本政府に感謝いっぱいです。

帰国後2日経った4月11日の午前に陰性の検疫結果が出て、無事自分の大学のアパートに帰ることができました。
ホテルからアパートまでは事前に予約しておいたレンタカーを利用しました。
久々の運転だし、アメリカと車線方向逆だし、不安でしたが、無事に帰ることができました。

そして、帰国後2週間は自宅待機しなければならなかったので、4月24日まではアパートで料理、勉強、YouTubeをみるなどして時間を潰しました。
この2週間もずっと一人で過ごしていたし、外に出れないのでかなりしんどかったですが。

まあ、そんな感じで特に大きな問題もなく、帰国し、今は普通に生活できています。


終わりに
ということで、今回で私のアメリカ留学についてのブログは終わりです!
もしかしたら、また留学についてのことは書くかもしれませんが・・・。
ただ、今後も何かしら発信していきたいと思いますので、もしよろしければ時々訪れて、投稿を見てくださったらと思います!

新しいことを始めようと思って始めたこのブログですが、そこまでSNSで発信することのなかった私にとって、自分自身を振り返ることができたり、留学や海外に興味を持っている方の助けになったと思ったり、完全に自己満ですが、ブログを書いてきて本当に良い体験になったなと思います!

観てくださった方には心の底から感謝しています、本当に有難うございました!
今後ともどういう感じになるかは分かりませんが、宜しくお願い致します。

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(お世話になりました。)
では、また。
吉田